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ゴーギャン展 [09展覧会感想]

東京国立近代美術館で開催されていた「ゴーギャン展」を観に行きました。
「19世紀末の爛熟した西欧文明に背を向け、南海の孤島タヒチにひとり向かった画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)。その波乱に満ちた生涯は、芸術に身を捧げた孤独な放浪の画家の典型といえるでしょう。自らの内なる『野生』に目覚めたゴーギャンは、その特異な想像力の芽を育む『楽園』を求めて、ブルターニュ、マルチニーク島、南仏アルル、そして二度のタヒチ行きと、終わりのない旅を繰り返しました。その過程で、自ずと人間の生と死、文明と未開といった根源的な主題に行き着きます。このような人間存在に関する深い感情や思索を造形的に表現すること、これがゴーギャンの絵画の課題となりました。
タヒチで制作された畢生の大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98年)は、その芸術の集大成であり、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言ともいうべき作品です。本展は、日本初公開となるこの傑作を中心に、国内外から集められた油彩・版画・彫刻約50点の作品を通して、ゴーギャンの芸術を今日的な視点から捉えなおすことを試みます(チラシより)」

ゴーギャン展01 ゴーギャン展02

~展示構成~
第1章:野生の開放 第2章:タヒチへ 第3章:漂泊のさだめ
 
《馬の頭部のある静物》(石橋財団ブリヂストン美術館蔵)まずは印象派の影響をもろに受けた初期の作品から。《オスニー村の入り口》(ボストン美術館蔵)はピサロの指導を受けたものだそうで、明るい色彩のバリバリにピサロ影響が窺える。
《水浴の女たち》(国立西洋美術館蔵)は初見の作品。西美にこんな作品があるなんて知らなかった!Σ(ヾ ̄▽ ̄)ヾ!!シャヴァンヌの影響を受けているのだろうか、なんとなくそんな感じ。画像&解説はこちら(http://collection.nmwa.go.jp/P.1959-0104.html
《愛の森の水車小屋の水浴》(ひろしま美術館蔵)も印象派風の明るい作品。あ、風って言っちゃマズイですよね、第4回から第8回まで印象派展に参加しているわけですし。(^_^;)この左側の少年の片手をついたポーズが、この後いろいろな作品に登場することになる。
《馬の頭部のある静物》(石橋財団ブリヂストン美術館蔵)はブリヂストン美術館で何度も観ている作品だが、このようにたくさんのゴーギャン作品の中で鑑賞すると、ぜんぜん違って見えるから不思議。他の印象派の画家たちと同様ゴーギャンの日本に対する関心の高さが窺えるのだが、ゴーギャンの場合は日本のみならず広くアジア全体に目を向けていることがはっきりと見てとれる。

《家鴨のいる池》(個人蔵)《洗濯する女たち、アルル》(ニューヨーク近代美術館蔵)《家鴨のいる池》(個人蔵)は07年に埼玉県立近代美術館で開催された田園讃歌展の時に、《洗濯する女たち、アルル》(ニューヨーク近代美術館蔵)は04年に森美術館で開催されたニューヨーク近代美術館展の時に、展示されていたもの。この2点、いずれも1888年の作品で、水辺に描かれた女性のポーズがとてもよく似ている。《洗濯する~》は左下の2人の頭が、ちと怖い。構図の安定感を崩していて、全体的な色彩と相まってなんとなく不穏な感じ。人物の配置が扇のようで面白いともいえるが。また、《2人のブルターニュ女のいる風景》(ボストン美術館蔵)という作品も構図のつくり方に、ある意味共通性が感じられる。絵画なら通常は余計なものは省略し描かないが、なんというか、写真のようにそのまま入れちゃったって感じ。飾ることなくありのままを描いたということなのだろうか。この《2人の~》は筆を縦にささぁ~と。キャンバスの下へ向かうにつれ重い感じに。《家鴨の~》の流れるようなうねるような感じでもそうだが、筆の跡(タッチ)って、やっぱり面白い。いくら眺めていても飽きない。(^_^)

《小屋の前の犬、タヒチ》(ポーラ美術館蔵)《タヒチの風景》(メトロポリタン美術館蔵)は牧歌的でほのぼの系。《小屋の前の犬、タヒチ》(ポーラ美術館蔵)も似たような感じのものだが、微妙に寒々しい。画面奥、小屋のあたりには馬や人がいてのどかでほのぼのとした感じなのだが、画面手前には黒い犬が一頭ぽつり。このワンコ、孤立した異邦人としての自身を表すものらしい。原始・野生を追及しつつも、異国の地における孤独感・疎外感が漂う作品。
《異国のエヴァ》(ポーラ美術館蔵)《かぐわしき大地》(大原美術館蔵)《異国のエヴァ》(ポーラ美術館蔵)はタヒチは旅立つ前に描かれたものだそうだ。モデルの顔は母親だそうで、タヒチの持つ開放的なイメージと重ね合わせることで、現状の閉塞感からの開放・脱却・安息を思い描いていたのかもしれない。《かぐわしき大地》(大原美術館蔵)はタヒチで描かれたもの。現地で同棲していたテハマナという女性がモデルだそうだ。モデルのポーズは《異国のエヴァ》ととてもよく似ているが、色使いはより原色的で荒々しさが感じられる。《異国のエヴァ》では蛇の巻き付いていたリンゴの木が花に置き換わり、彼女はその花を摘もうとしている。この花、見方によってはヒマワリのようにも見える。(※ゴーギャンはタヒチ滞在中、ヒマワリの種をフランスから取り寄せている。)また、蛇の代わりにトカゲが描かれている。こののトカゲ、赤い羽根が生えています。なんか悪魔の使いのようにもみえる。。。(^_^;)

《パレットを持つ自画像》(個人蔵)《パレットを持つ自画像》(個人蔵)はゴーギャンの視線がとっても気になる。対峙する自分自身に何かを投げかけているよう。この作品は写真をもとに制作されたそうだが、その写真には口髭が無かったとのこと。髭を描き加えたことで、どっしりと落ち着いた風貌に。でも髭が無い方がスッキリとしていて格好いいかも。
《オヴィリ》(静岡県立美術館蔵)は色付けされた石膏像。《エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)》(シュトゥットガルト州立美術館蔵)から派生した作品。木のような質感が魅力的。足元には動物の顔が確認できる。「オヴィリ」とはポリネシア語で「野蛮なるもの」という意味だそうで、ゴーギャンはこれを自らの墓碑とすることを望んでいたそうだ。

『ノアノア』連作版画はタヒチで描いた油彩画をもとにした10点からなる木版画集。今展ではルイ・ロワ版、ポーラ版、自摺りの計24点が展示されてた。『ノアノア』とはマオリ語で『かぐわしき香り』という意味だそうだ。3点(ルイ・ロワ版、ポーラ版、自摺り)の《ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》《かぐわしき大地》(大原美術館蔵)に基づくもの。ということで、上記油彩画を反転した構図。《マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)》は繭のように丸まったポーズの女性が印象的。この丸まったポーズ、ペルーのミイラを源泉に持つそうで、死の象徴だそうだ。また、女性の下に敷かれているマットが繭のように見える。この繭を子宮とみて胎児と捉えることで、生と死を表すとも。
この連作版画、6、7年位前に埼玉県立近代美術館の常設展示で鑑賞したことがあります。全10点。もしかしたら20点位あったかも。ブログを始める前は特にメモをするでもなく漠然と鑑賞していたのであまりよく覚えていませんが。(^_^;)

大本命☆彡

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)
今展の大本命、《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)。これを観る為だけにやってきたと言っても過言ではない。第一印象、でかいっ!それを一点ものでどど~んと展示。会期前半の夜間開館時でどの展示室もお客さんは少ないのだが、ココだけは別。といっても混雑というほどではない。しかもとっても静か。それまでの展示室では会話しながら鑑賞していた人もこの作品の前では誰もしゃべらない。静かな中に程よく緊張感が。隅々まで皆さん食い入るように見つめる。ゴーギャン唯一の青色作品。南国タヒチの香りが漂うはずなのだが、展示室の空気がひんやりと感じる。オモイ。人間の一生に正面から向き合った作品。圧倒的な存在感。なんだか作品の中に吸い込まれそう。この展示室の壁には作品に描かれている人物や動物等の詳しい解説パネル。また、直前の展示室はこの作品についての映像解説。予習せずに足を運んだため驚きの連続。解説パネルと作品の間を行ったり来たり。さらに、映像上映も鑑賞し直す。さすが、最高傑作というだけあってオーラが違う。この作品に何十分かけたかわからない。凄すぎっ!帰宅後公式サイトを見ていて『こどもセルフガイド』(pdf)の秀逸さに唖然とした。これで予習しとけばよかったなぁ。(^_^;)そうそう、会場で流されていた映像解説ですが、会期後半には展覧会の宣伝も兼ねてユーチューブ上で公式に公開されていました。会期終了後、そのサイトもろとも削除(撤去)されましたが。

《ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)》(テート・ギャラリー蔵)
《ファア・イヘイヘ(タヒチ牧歌)》(テート・ギャラリー蔵)《我々は~》から派生した作品。抽象性を増した黄金色の地は宗教画のような天上的な雰囲気を醸し出しているとのこと。これもまた見応えがある。世界中を駆け巡ったそれまでの経験から、ゴーギャンは仏教等、キリスト教以外の宗教にも知識・理解がある。
《テ・パペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)》(ワシントン、ナショナル・ギャラリー蔵)《我々は~》の右半分の変奏で、《我々は~》では青色、緑色だった部分が赤色に置き換わり、画面全体が熱気を帯びている。
《路上の馬:タヒチの風景》(プーシキン美術館蔵)は印象派時代に回帰したかのような穏やかな作品。それまでの野生、荒々しさを追求していた頃とは異なるもの。
ゴーギャンは死を覚悟して《我々は~》を描いたそうだ。彼の人生の集大成として。いわば遺書代わり。完成後、砒素を飲んで自殺を図るが、死にきれなかった。いや、まだ死ぬことを許されなかったのかもしれない。《我々は~》で彼自身は全てをやりきった感があったのかもしれないが、まだやり残したことがあるということで、死ぬことが許されなかったのかも。《我々は~》はあくまでも原始・野生の追求という観点における集大成であり、画業全体を通したものではなかったのかも。夢中で追い求めるあまり視野が狭くなっていたのだろうか。
それ以後の作品は変奏も含め、肩の荷が下りたように穏やかで温もりを感じる。まさに初期から晩年まで画業全体を振り返るような落ち着きが感じられるようになる。人間味を帯びているというべきなのかな。

《浅瀬(逃走)》(プーシキン美術館蔵)《浅瀬(逃走)》(プーシキン美術館蔵)は05年のプーシキン美術館展で鑑賞したもの。今展の鑑賞にあたり予習として図録を読み返してみたところ、素晴らしい解説にビックリ!!当時はゴーギャンにほとんど興味がなかったので、しっかりと読み込んでいませんでした。せっかくなのでその解説をご紹介。
「 この絵はゴーギャンが没する2年前に、マルキーズ諸島のヒヴァ=オア島で描いたいささか謎めいた作品である。白馬に乗った品物と焦げ茶色の馬に乗った人物が中央の浅瀬を渡ろうとしている。背景では、海に舟を漕ぎ出す人々が見える。何かの物語の一場面なのだろうか。
 青いパレオを腰に巻き付け、ピンクの頭巾を被った前を行く女性は、死霊の象徴と見なされている。そして、死というテーマは、デューラーの銅版画《騎士と死と悪魔》(1513年)との関連性を想像させよう。実際、ゴーギャンはその複製版画をタヒチに持って来ていたし、馬とその下を走る犬のモチーフは明らかに類似している。他に、ドラクロワやドガの作品からの借用も指摘されているが、ゴーギャンはそうした要素を統一し、大胆な色彩と平面装飾の手法を用いて、独創的な絵画世界を作り上げている。
 猛禽類のような鳥に肉片を差し出す後ろの人物は、死霊に先導されてなぜ浅瀬を渡ろうとしているのか。この作品には『逃走』という別題があるが、ゴーギャンがよく取り上げる、文明に汚染された土地からタヒチ人が立ち去るというテーマのヴァリエーションなのか。ちなみに、1903年にヴォラールの画廊で最初に展示されたときの題名は《騎手たち》であったという説もあり、作品解釈はなかなか難しい。ただ、自らの健康や過酷な現実から、死を思うこともあった晩年のゴーギャンである。生と死に関する個人的な思いが重なっていることも充分考えられよう。
 それにしても、この絵の色彩の何と美しいことか。色の帯が重なっていく構成だが、木の列と小川の沈み込むような青を中心に、海の緑色、砂浜のバラ色、地面の橙色と紫色が共鳴していく様は、まさに目に染み入る。青と橙の補色対比の効果もよく効いている。象徴性と造形性が融合した、ゴーギャン晩年の秀作と言えよう。(05年プーシキン美術館展図録P78より)」

《女性と白馬》(ボストン美術館蔵)は山頂に十字架が描かれている。これが意味するところはゴルゴダの丘かな。

カミーユ・ピサロ《ポール・ゴーギャンの肖像》(ベオグラード国立美術館蔵) ポール・ゴーギャン《黄色いキリストのある自画像:1890-91年》(オルセー美術館蔵)
【左】 カミーユ・ピサロ《ポール・ゴーギャンの肖像》[1880-81年](ベオグラード国立美術館蔵) ※この作品は展示されていません
「ベオグラード国立美術館所蔵 フランス近代絵画展」(06年:日本橋三越)
ピサロの描いた若きゴーギャン、酒場で呑んだくれてるおっさんにしか見えねぇ。。。
【右】 ポール・ゴーギャン《黄色いキリストのある自画像》[1890-91年](オルセー美術館蔵) ※この作品は展示されていません
「オルセー美術館展-19世紀 芸術家たちの楽園」(07年:東京都美術館)
三重自画像。背景の左は鏡像であるために左右が反転した《黄色いキリスト》の一部、背景の右は《グロテスクな頭の形をした壺》という陶器。

全部で53点、そのうち版画が24点。ということで、ゴーギャン・ファンの方には物足りない展覧会だったかもしれません。ゴーギャン特有のベタ塗りの作品は少なめ、版画も含め半数近くは今までに鑑賞したことのあるもので、ゴーギャン作品にはイマイチ苦手意識のある私としては、程よい塩梅。コテコテのベタ塗り作品ばっかりだとしつこくて正直キツイので。。。(^_^;)
今展は、単刀直入に言うと《我々は~》の一点ものに限りなく近い展覧会。たとえ1点ものでも、観に行くだけの価値がある展覧会。私にとっても、この作品は機会があれば是非直接鑑賞したいと思った唯一のゴーギャン作品。会期前半ということで、静かな環境でじっくりと鑑賞することができ、とても満足のいくものだった。

・図録:2200円
・音声ガイド:500円

東京国立近代美術館(http://www.momat.go.jp/

おでかけ記録
近美にも足を伸ばしてゴーギャン展(http://ryuu.blog.so-net.ne.jp/2009-07-18

東京国立近代美術館01

東京国立近代美術館02

もっと知りたいゴーギャン 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

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  • 作者: 六人部 昭典
  • 出版社/メーカー: 東京美術
  • 発売日: 2009/05
  • メディア: 単行本

ゴーギャン (ニューベーシック) (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)

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  • 作者: インゴ・F・ヴァルター
  • 出版社/メーカー: タッシェン
  • 発売日: 2001/09/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


冬の輝き~恋人たちのピュア・ヴォイス(限定盤スペシャルエディション)

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2009/09/30
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冬の輝き~恋人たちのピュア・ヴォイス

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15曲目の日本版限定ボーナストラック「時の翼にのって」はゴーギャン展のテーマ曲。

ゴーギャン展ポストカード
ポストカード2枚。
袋が可愛い♪(=^^=) ニョホホホ



ゴーギャン展の公式サイトがウイルスに感染したそうだ!ヒイィィ!!(゜ロ゜ノ)ノ
ガンブラーウイルス(亜種)により公式サイトが第三者により不正にアクセス、改ざんされ、改ざんされたページにアクセスした人はコンピューターウイルスに感染した恐れがあるそうだ。。。
対象期間:2010年1月3日(日)午前2時22分~2月1日(月)午前10時55分
※詳細は公式サイトに掲載されています。

私はこの期間中にアクセスしていると思いますが、幸いウイルスには感染しなかったようです。
検出できなかっただけだったりして。。。。(-_-;)
実はこの記事は昨年のうちに仕上がっていましたが、なんとなくアップするタイミングを逃していました。1月中にアップしなくて良かったなぁとしみじみと思いましたよ。(^_^;)ははは
(感染サイトに誘導しやがったってたたかれたんじゃたまらん。。。)
だいたい、始まってすぐに観てるんだから開催中にとっととアップしろって感じですが。(^_^;)

まぁ、それはともかく、
上記対象期間中に公式サイトにアクセスされた方は今すぐウイルススキャンですよー!!


公式サイト(http://gauguin2009.jp/index.html
※現在は安全です。たぶん。。。


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kuwachan

こんばんは。
あちらこちらから作品をを集めて凄い展覧会だったのですね。
大変だったでしょうね。
でも、ゴーギャンはなんとなく好きになれなくてパスでしたが^^、
りゅうさんの解説で行った気になりました(笑)
by kuwachan (2010-02-07 20:01) 

TaekoLovesParis

ゴーギャン展のサイトは、ウィルスで話題になりましたね。
たしかに、そんなとき、アップして、疑いがかかったらいやですよね。

この展覧会の目玉作品、「我々はどこから、、、」は、ボストン美術館で
何回か見たので、この展覧会は行きませんでした。見る人たちが、
みんなしーんとしてたんですね。
プーシキン美展で見た「浅瀬」、黄色がない白がきれいな色あいで、
好きでした。晩年になると、いろいろ思うことがあるのでしょうね。
洗濯女の若い躍動感のある絵とずいぶん違ってきてますね。洗濯女は、
簡素化された人の描き方が好きです。初期のピサロの影響を受けた絵、
まだゴーギャン風でなく、興味深いです。
たくさん見せていただいて、得した気分です。

by TaekoLovesParis (2010-02-07 21:00) 

雅

実はこれ、気になってたんですよね。
結局スケジュールが合わなくて行けませんでしたけど。
りゅうさんの記事を見て行ったことにしておきます。
by (2010-02-08 22:37) 

りゅう

○kuwachanさん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
ゴーギャンの作品は私もあまり好きではないのですが、
《我々は~》は機会があれば是非生で観たいと思っていました。
確かに大きな作品ではありますが、
それ以上に存在感があり圧倒されました♪ヾ( ̄ー ̄)ゞ

○TaekoLovesParisさん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
現地で鑑賞されているのならあえて行くまでもないでしょう♪
でも、何度でも観たくなる深みのある作品ですよね。(^_^)
会期序盤の土曜夜間開館時、
静かな中でどっぷりと浸ってきました♪(^_^)

○雅さん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
目玉の《我々は~》はさすが最高傑作って感じでした♪
ボストン美術館に所蔵されてから、2度のパリでの里帰り展以外、
アメリカ国外で公開されたのは初めてのことだそうです。
画集では何度も見ていたのですが、やっぱり生は違いますね~
機会がありましたら是非、ナマで。ヾ( ̄ー ̄)ゞ

○月夜さん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○plotさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○mickyさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○tacit_tacetさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○りんこうさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○yukitanさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2010-02-11 06:55) 

laysy

公式サイトがウイルスに感染…油断も隙もない…
コワい世の中ですね〜無事で良かったですね。
by laysy (2010-02-11 14:21) 

りゅう

○laysyさん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
公式サイトに大手企業サイト・・・ネットの世界は地雷原のようですね。
セキュリティソフトはもちろん他のソフトも最新状態にして気をつけましょう。

○ぽんこさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2010-02-13 23:28) 

りゅう

○空さん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2010-02-17 22:12) 

naonao

あちこちですこしずつ観るよりも、まとまったものを観るほうが数段迫力あったでしょうね。
by naonao (2010-02-19 21:39) 

りゅう

○naonaoさん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
まとめて観る事で画家の内面世界にも触れることができますよね。
なかなか見応えのある展覧会でした♪
なんとか美術館展のようなただもってきた展よりも
じっくりと掘り下げられる回顧展のほうが私には向いているようです。(^_^)
by りゅう (2010-02-20 21:49) 

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